こんにちは。
高千穂町議会議員の板倉哲男です。
大河ドラマ、西郷どん、見ていますか?
私はテレビをほとんど見ませんが、大河ドラマだけは見ています。
戦国時代もいいですが、幕末もののほうが、個人的に好きです。
まちがいなく、ドラマ後半のクライマックスは西南戦争だと思います。
そして、高千穂町にも西南戦争にゆかりのある史跡があります。
それが、三田井城ノ平にある、「西南の役 官軍墓地」です。
大河ドラマの影響で、例年以上に訪れる人が多くなると思われます。
ですが、結構木が生い茂っていたり、墓地に上る道もよくありません。
住民からも、もっときれいに整備できないかという要望が多かったようで、昨年12月の議会にて、官軍墓地の整備委託料として、51万円が上げられ、議会で可決されました。
委託内容は、支障木の撤去と、入り口の急斜面への階段の設置です。
入り口の現状がこんな感じ。
確かに、足の悪い方は上りにくいと思われます。
多くの人にとって、訪れやすい史跡となるといいですね。
ところで、この官軍墓地ですが、てっきり、高千穂町内の戦闘により亡くなられた方の墓かと思っていたのですが、看板には以下のようにありました。
「官軍墓地
この小高い丘には、明治十年八月十八日、可愛丘(えのたけ)の戦いで戦死した陸軍士官見習い、村上清之進(広島県出身)をはじめ本郡内で戦死した全国の官軍兵士の墓四十二基がある」
可愛岳というと、延岡市北川町の山です。
高千穂町は、可愛岳から、およそ60㎞ほど離れています。
可愛岳で負傷し、高千穂に来てから亡くなられたということでしょうか?
そうだとすれば、さぞ、つらい移動だったと思います。
ご冥福をお祈りします。
さて、可愛岳でどのような戦闘があったのか、調べてみました。
時期としては、西南戦争の終盤、薩軍の敗色が濃厚となり、西郷さんが解軍の令を出したのが8月16日。
そして、最後まで戦うことを決意した者のみが、官軍の包囲網を突破するために戦ったのが、8月18日の未明の可愛岳の戦いだそうです。
詳細はコチラ。(※ウィキペディアへのリンクです。可愛岳突囲を参照ください。)
なるほど。
大変勉強になりました。
じゃあ、帰ろっと。
、、、。
んっ?
なになに?
「小坂峠(標高五十五米)
本郡に於ける三大激戦地の一つで、五月二十五日の未明から夕刻まで官軍と薩軍の間で、熾烈な戦いが、展開され官軍の戦死傷六名、薩軍は十七名の戦死者を出したという激戦の中心になった所です。
中腹には里人がひそかに建てた「薩州さん」の墓がある。」
へー、なるほど。
とはいえ、どこだ、ここ?
気づいてしまったからには、行かないわけにはいきません!
というわけで、後半につづく。